« 2015年9月 | トップページ | 2016年7月 »

2016年6月

2016年6月30日 (木)

避難所のおもいで・・・♪

全国 拙者ブログを ご覧いただいてる 皆様

いつも ありがとうございます。

九州エリア・・・

出戻り 改め ラッキーブロガー

なお姫です。( ´艸`)プププ

★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜

前記事では ちょっと 重い記事で

申し訳ありません。

今回で 震災記事を 締めくくり

来月からは 釣行記事が 出せたらな~♪と思ってます。

さて 最初の避難所生活は 近くの中学校。 

比較的 新しい建物で 避難所にしては

良い環境だったと 思います。

一番 感心したのは・・・

女子トイレの 内ドアに・・・

Img_2765

悲しくて花を見れば 花はともに 悲しみ

うれしくて 花を見れば 花は ともによろこび

心 荒れた日 花を見れば 花は 静かに咲く

とか

各トイレごとに・・・

Img_2761_2

Img_2762

Img_2770

震災で 不安だったり 落ち着かない状況だったけど

トイレに 入る度に ホッとした気持ちになれました。

Img_2771

前向き

人間は 前を向いて 歩くようになっている

心だって 前向きにすれば 楽に 生きられるのに

とか・・・

Img_2772

人生は かけ算だ

どんなに チャンスがあっても

君が 『ゼロ』なら 意味がない

そういう・・ なるほど~♪と 思える言葉の張り紙が

至る所に 貼ってあって・・・

避難所なのに なんか 勉強になるというか・・・

とても しみじみとした 気持ちになりました。

震災に 遭遇して 平常心が 保てず

旦那や 義母とも 些細なことで ぶつかり

ある意味 家族崩壊かとも 思ったことも・・・。

今 振り返っても 年配の方々の避難所生活は

かなり 無理があると 思います。

楽しみが持てないどころか 先の不安が 大きすぎるからです。

幸い 私の母は 北九州の娘のところへ

義母は 大阪の義母のお姉さんのところへ

避難させることが 出来たことも 良かったと思います。

私と旦那だけなら 避難所生活を なんとか続けられる。

そう 思って 5/24まで 過ごしました。

そして 昼間は 片づけとかで いないけど

荷物は 避難所に 置いていて

どうしても 貴重品は 持ち歩かないと 不安・・・。

かといって 袋とかだと 邪魔だし。。。で

旦那が インターネットで見たと言って・・・

Img_28809

そうなんですっ

いつも 釣りの時に 着用している ベスト

今更ですが ポケットが たくさ~ん☆

財布でしょ? 免許証、鍵 、携帯、薬 、ライト、ティッシュ・・・etc

たいていのものは 身に付けられ 邪魔になりませんっ

意外な アイテムでした~☆ 

さて、五月の半ば・・・

防衛省が チャーターする 船 はくおう

(民間船を 自衛隊の輸送の為 チャーター)

4/20 今回は 熊本地震のため 神戸港から 出港し

八代港(熊本)へ やってこられたそうですが、

な、なんと!

ご招待(申し込み多数の場合は 抽選)していただきました。

他の避難所の方々と 一緒に バス15台くらいで

乗り込みました。

船なのに 中で バスが Uターンできる、それくらい

でっけー(笑)

Img_2818

船内ロビー。

Img_2797_2


Img_2800

Img_2812

船の中から 夕日が 見れて・・・
Img_2810

こじんまりとした お風呂だったけど 

海を眺めながら 夕日も見れて

お風呂は 一番 くつろげました~♪

お風呂と言うと・・・

Img_2784

北海道の帯広の自衛隊から 

お風呂の提供をしていただいた

その名も 熊の湯。

シャワーも使えて 避難所で お風呂が

入れることが 何よりでした。

他からも いろんな 救援、

食べ物だけでなく、マッサージであったり

多方面に亘って 手を差し伸べてもらって

本当に ありがたい 避難所生活を

送らせていただき ありがとうございました。

| | コメント (1)

2016年6月29日 (水)

罹災証明・・・♪

全国 拙者ブログを ご覧いただいてる 皆様

いつも ありがとうございます。

九州エリア ・・・

出戻り・・・改め ラッキーブロガー( ´艸`)プププ

なお姫です。

★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜

熊本地震から 2カ月過ぎましたが

今は以前のような日常が 過ごせるようになったのですが

実は 解決していないことが あります。

震災1週間後 役所には 罹災証明を 

申請する人で いっぱいでした。

今後の生活で いろんな申請したり 

税金等の免除に関しても ・・・

罹災証明が 物をいう 状況でしてね。

旦那と一緒に 罹災証明の申請に 行ってみたら・・・

賃貸の住人は、

一部損壊しか 

証明が出せませんと 言われました。

どんなに 家屋が 

全壊でも 

賃貸の住人は 一部損壊でしか 

罹災証明は 出せない・・・ 

そう言われたんですっ!

おかしくね?

なので その一部損壊の罹災証明を 納得できないまま

もらって・・・→とりあえず もらえるものはもらって。。。くらいの気持ちでした。

家屋の損害状況の確認を ひたすら 待っていたんですが

結論から 言うと 一部損壊の罹災証明を もらった時点で

家屋の調査には 来ない(終わった)らしく・・・

2カ月経っても 音沙汰なかった(調査に来ない)のは 

それだったことが判明。

今の区役所で 一部損壊を もらって すぐ 

再審の請求を すれば よかったんですけどね。と 聞いたとき

愕然と しました

家屋調査に 来られるのを 今か、いまかと 待って・・・

2カ月も 経っちまったーーーーーーーっ

余りに 腹の虫が 納まらないので 

引っ越し前の区役所に TELしました。

なお「賃貸の住人は 一部損壊の罹災証明しか 

出せないと言われたけど 

家屋調査には 来られると思って ずっと 待っていました。

一部損壊の罹災証明を 出したら 家屋調査には 来ないなんて

一言も 聞いてないですっ

余りに 来られないから 再審を申請して 初めて知りました・・・」と。

この2カ月 片づけと 引っ越しで くたくたに なるも

少しでも 前に進みたい 一心で 頑張ってきたつもりでした。

みんな 被災している、自分たちだけじゃないと 思っていたから

催促もしないで おとなしく 待っていたのに・・・やっぱ おとなしく・・は 似合わんかー(笑)

この2カ月 あれだけ 時間があったのに

これから やっと 申請の手続き(調査)だなんて・・・

確かに 今回の地震は 予期しない 大きな出来事で

役所の対応も 担当者で 話が違っていたり

対応も まちまち。

応援で 他県から 来られていたことも

県によって 証明の基準が 違っていることも

今回の 賃貸云々と 言われたのも あるようです。

今だから 対応も 一巡し 落ち着いてきたのかもしれませんが

この2カ月 被災した家屋は そのまま

解体のGOサインを 待ってる・・・そんな感じです。

一部損壊の罹災証明なんて 何の役に

立つの?→何もありまっせん。施設利用とかで使える?

それにしても 家主も 罹災証明の申請をしているんですよ。

一つの家で 双方(家主と住人)から 申請して

2回 見に来られるんでしょうかねー。

知らなかった、言葉が足りなかった、理解できてなかったことで

この2カ月 新しく引っ越しは 出来てる私たちでさえ

震災の被害が ほったらかしにされている気がします。

後悔、先に立たず。。。。です。

今後 いろんな 災害が 起こった時

罹災証明を 申請するときは

いろいろ 調べたり 相談したりして

納得できるものに すべきです。

やみくもに 責めるつもりは ありませんが

最初に 一部損壊しか 出せないと言った

役所の方の 対応は 忘れることはないでしょう。

| | コメント (1)

2016年6月22日 (水)

避難所生活の始まり・・・♪

全国 拙者ブログを ご覧いただいてる 皆様 

いつも ありがとうございます。

九州エリア・・・

出戻り ブロガー なお姫です。

(*´v゚*)ゞ

★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜

4月16日の本震の後。

度々の余震が ある中 とりあえず 家に戻ってみると

サッシのロックは どこも 施錠出来ない状態

たぶん 家屋自体の傾きとか 

枠の曲がりとかが あるのでしょう。

もちろん 玄関の鍵は壊れたままですので

家屋の損傷も ある中 

到底 住むことが 出来ないことに

結論いたしました。

となると 当面 要ると思われるものを 

持ち出さなくてはいけません。

タオルや 着替えは もちろん 

📳 携帯&充電器プラス 

充電池。←これが けっこう ためになった

冷蔵庫には 買い物したばっかりの卵や 野菜や肉類も・・・

停電しているから このままだったら 腐らせてしまう

ならば~♪

駐車場で カセットコンロ を出してきて(無事だった

卵は ゆで卵~☆、野菜と肉は この際 全部 まとめて

 焼肉のタレで 炒めてしまえ~☆

なんちゃって 焼肉メニューに 早変わり~♪

防災準備 その2 

<カセットコンロ&カセットボンベは あると便利~♪>

ライフラインが 復旧するのに 時間がかかる場合は

特に 重宝します。

ただし 火事や やけどなどには くれぐれも ご注意くださいまし。

あっ、それと 避難所では 使えませんので 悪しからず・・。

本震後 初めて 避難した 近くの中学校は

避難してきた人たちで あふれかえっていました

配給のおにぎりを いただくのに 40分 並んで待って

それこそ 手に平に ちょこんと置けるくらいの小さなものが 一個。

いやいや いただけるだけでも ありがたい m(_ _)m。

今まで 当たり前に 使ってきた電気や水、トイレ・・・。

それが 当たり前では なかったこと、

感謝が 足りなかったことを 痛感しました。

トイレは マンホール直結のテントトイレ

Toire_2

今回の地震がなければ 使うことも なかったかもしれない、

防災用のトイレでした。

給水や 地下の排水処理が できない状況でしたので

他県からの 救援として 給水車も きていただきましたが

最初は すぐなくなって 次に来るのは

2~3時間後との 張り紙が出されます。

毎回 長蛇の列。

避難所では まだ 小さい赤ちゃんとか

体のご不自由な方とか たくさん おられ

うちのばばたちは まだ 良い方。

夜中 赤ちゃんの泣き声や あちこちから 聞こえる咳

トイレに行くときの足音。。。

度々の余震の不安も あって

この私でさえ 熟睡できず・・・。

Img_2768

今回の地震で うちは 水が 使えませんでした。

電気は しばらくして 復旧したんですが

水が使えないということは 家に戻ってみても 

お風呂と洗濯が、出来ないので

最初の一週間は お風呂に入れず

そこで お世話になったのが ・・・

Img_2878_2

除菌消臭スプレー&メンズ用 が 大活躍

(男の体臭、・・・ニオイを撃退。だって( ´艸`)プププ)頼んだぞっ! 

実は 拙者さんが 今回の被災で 救援物資を

わざわざ 熊本まで 届けて

いただいた物の一つでした・・・ →うっうっ 感動の涙

本当に 拙者さん始め 他の方からも

ご心配いただいて 不足しているものはないか?と 

食べ物、特に 引っ越し後に 

お米(お米も 精米してすぐ使えるように 

保存も出来るようにと

ペットボトルに分けて

いただいてました。) その他 

たくさんの食料品などを送っていただき

その中の一つ・・・

天使が贈る

しあわせになる珈琲 

なるものが 入れてありました。

そういえば 被災してからというもの

自販機とかでは コーヒーは 買えますが

ゆっくり ドリップ式のコーヒーを飲むことが 無かったなぁと

心の余裕の無さを 改めて感じました。

Img_2877_4

こうして コーヒーを 穏やかな環境で

飲めるようになったこと、

そんなお気遣いをしていただいたことなど

とても うれしかったです。

本当に ありがとうございました。m(_ _)m

さて 住めないとなると 

家の中の片づけも しなきゃならないし

次の家も 探さなきゃいけないんですが

旦那が 不動産会社に 仮設の物件を問い合わせると・・・

「んー、九州では お探しのおうちが 見つからないので・・・

山口県でも いいでしょうか・・・」に

私たちだけだったら まだしも

ばば 二人抱えて そりゃないっしょ。(笑)

福岡(の団地)も 申し込みましたよ。

でも ダメだった・・・です

この時点で ホントに 行き場のないことの不安

マックスでした。

と!

ここで 捨てる神あれば 拾う神あり~☆とばかり

幸運が 舞い込んできましたー。

私の仕事で 良くしてもらってる方に

今回の地震の安否確認で 電話をしたら・・・

Nさん「私は 大丈夫だけど あなたは どうしてるの?」に

なお「・・・避難所生活・・・です。と 答えると

Nさん「こっちに おいで~おうちも あるよー。」と

現在のおうちを ご紹介いただいたのでした。

荷物が入ったまま 8年間 空き家だったので

それなりに 処分や 掃除も 大変だったみたいですが・・・

今じゃ・・・

Img_2875


Img_2873

こうして お花も 飾れるようになりました。

これからは 出戻りブロガーじゃなくて

ラッキーブロガーと 呼んでもらおうかなー。

゜.+:。(*´v`*)゜.+:。エヘッ

| | コメント (2)

2016年6月20日 (月)

ご無沙汰いたしました・・・♪

全国 拙者ブログを ご覧いただいてる 皆様

いつも ありがとうございます。

8カ月ぶりの ご無沙汰を いたしました、

九州エリア ・・・

出戻りブロガー なお姫です。 

(*´v゚*)ゞ

★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜

その節は 大変 ご迷惑 ご心配 おかけいたしました。

m(_ _)m

この度の熊本地震では 被災し 5月24日まで

避難所生活を 送りました。

未だ 避難所生活を余儀なく されていらっしゃる方々を

思うと 心苦しい思いです。

本当に 被害が大きかった益城町の方も

まだまだ 家屋がつぶれたままのところがいっぱいあって

それほど 被害が 少なかったと思われる地域でも

まだブルーシートのところが いっぱいある状況です。

あの地震から 早や 2ヶ月経ち

今の借家には 5/24に引っ越しが出来て 

こうして住めるようになりましたが

それこそ あの時 被災し もう住むことが 出来ないと 

半ば 絶望的だった時

知り合いの方から ご紹介していただき

先日の17日に インターネットの工事が やっと完了し

こうして ブログを再開するに至ったわけです。

まだ 釣りに 行けてないので

今度 釣りに行けるようになるまで

しばらくは 震災で 思ったこと とかを

お伝えさせていただきたいと思います。

★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜

昨年9月に ブログを辞めてから 

それなりに 忙しくしておりましたが

釣りに行っても あんまし釣れないし、

な~んか 張り合いもない感じでしてね・・・。

( ´艸`)プププ

昨年の10月終わりには 義母や 私の母との同居が 決まり

12月に 熊本市は南区の借家に 引っ越しをいたしました。

県南の家=天草(釣り)に近いのが 決め手で(笑)・・・←そこ

今思えば そこからが 怒涛の始まりだったかもですね。

(。>0<。)

ばば 二人に ばばの私の間で 微妙な位置関係の旦那。

今まで 一人暮らしをしてきた義母と私の母との 4人暮らし。

母同志 思ったよりは 仲良くしてくれて まずは 一安心

そりゃ~ 世間で言う 嫁姑の関係も ありますけど・・ってか

無い方が おかしいっでしょ→だよねー。

それでも 一進一退を繰り返しながら ほどほどの関係で

どちらかと言えば 良い方向に向かってきたなーと 思い始めた4月。

あの 熊本大地震が やってきたのですっ

4月14日 午後9時半ごろ、そろそろ 休もうかなーと

私は 2階のベッドの上で それこそ 楽に腹筋が出来るという 

○んだーこあスマートで 前後に 揺れておりました。

旦那は 同じ部屋で パソコンを 見てました。

ゴォーーーーーッ

地鳴りとともに 一瞬 突き上げられたカンジ

その後 体が いや 家ごと 大きく横揺れし

二人とも その場から どうすることもできませんでした。

うっひゃーーーーーーーーーっ

じ、じっ、地震っ???

旦那は 後ろに 作業着とか自分の服が掛かったメタルラックと

目の前に 置いていた釣りの小物とかの棚を

両手で 倒れないように 必死で 押さえていて・・・

私は 恐ろしさで 悲鳴とも つかない 叫び声しか 出ず 

このまま 家が 壊れるんじゃないかとさえ 思えました。

そういえば さっきまで 階下で お茶を飲みながら

話しをしていた母たちは どうなったのか・・・

(ま、まさか・・死んでない・・・よ・・・ね?)

地震が 少し おさまった時、

お義母さーん、大丈夫ですかー?と 2階から 叫ぶと

下から 義母が 「私は 大丈夫だけど あなたのお母さんが・・・」に

びっくりして 慌てて下に降りると 

倒れたカップボード(茶だんす)が こたつの台で 止まり

その間から 私の母が 「出られん・・・・。」と 顔をのぞかせていました。

旦那と二人で やっと カップボードを起こし 母を引きずり出し

かすり傷ひとつなかったことに ただただ 感謝しました。

その後も 震度6弱が 2回、 震度5が 1回。

そのたびに カップボードが 倒れて来るので

倒したまま 置いておきましたけど 

もう 焼け石に水ってか ヤケ○ソでっす(笑)

でも この大きな茶だんす 次の本震の時には

なんてことなかったんです。

前震のときは 茶だんすの上には なにも置いてなかったんですが

あんまり 何度も 倒れるので 上に衣装ケースを 置いてみたら・・・

本震では 倒れようとしても 衣装ケースで 天井との隙間が なくなり

倒れなかったみたいです。

ヘタな 突っ張り式の補助具よりは 良い仕事してくれました~♪

防災準備 その1

<寝室の壁際のタンス類には 気をつけましょう。

 倒れない工夫や 倒れると思われるところには 寝ない!>

夜中 日付変わって 震度6強が 来て

もう これ以上 家にいられないっと 旦那の車で

近くの区の支所へ 避難。

その時 閉めていたはずの玄関が さっきの揺れで 鍵が外れて

逆に 閉めようとしても 閉まらず・・・

もう 緊急事態なので そのままで 逃げ出すしかありませんでした。

避難所(駐車場)で 眠れない一夜を 車の中で 過ごし、

夜が明けるのを待って 家に戻ってみました。

家を 改めて 見てみると あちこちに 亀裂が入り

家の中は カップボードに入れていた 

お気に入りのコーヒーカップが 散乱

私たちの 身代わりに壊れてくれたんだと 思いました

幸い 電気は すぐ復旧し お昼前には割れた お茶碗類の片づけも終わり

夕飯も いつものように 準備出来て

前の日の地震で 寝れてなかったので 早々に休むことにしました。

2階も 何とか 寝れるように 片づけていたので

旦那に「2階も 片づけたから 寝れるけど どうする?」に

下で 寝ようか、と 東側の部屋に 私の母、

真ん中の部屋に 私たち

西側の部屋に 義母と それぞれ 休みました。

実は 気になることが ひとつあって・・・

ゆうべの地震のまえの 夕食を作っているときに

右の耳の奥が

ギュィーンと

痛くなったんです。

ん? 今まで こんなことなかったけど

耳のなんか病気になったのかな?と 気になりながらも

しばらくしたら 良くなったので 忘れていたんだけど・・・

あの2回目の本震の前の夕方

また 同じ痛みが

やって来たんですっ!

そういえば、 昨日も この痛み あったよね・・・ 

地震が 来たのと 関係ある? 

いやいや ただの偶然だよ・・・。と 自分に言い聞かせながらも

ニュースで 1週間の間で また 大きな 地震が 来るかもしれないと出ていたので

母たちにも 洋服のままで 寝てもらい 貴重品は 枕元に置かせ

私の母は 補聴器の予備と 靴を袋にいれ バッグに 結んでおきました。

そして 今回のとどめとも 言われる

あの 本震が やってきたじゃありませんかっ!!!

とにかく 前日に 寝れていなかったので その晩は 熟睡していて

枕元の棚のメダカちゃんの水鉢が 落ちたのも わからんかった。

目が覚めた時は 地の底からと思える ゴォーーーーーッ

不気味な音と 半端ない揺れに 2階もろとも

つぶれてしまうんじゃないかと思うほど

揺さぶられました。

悲鳴にも似た叫び声は かすれて とにかく 無事を祈るだけ。

揺れが 納まり 避難しようと 玄関に行くと

昨日は 閉まらなかった玄関が 今度は 開かない・・・

うっそーーーーーーっ。

出られないの???

不安と 恐怖

どうにか なりそうだー

幸か 不幸か 台所側の サッシが 見事 外側に倒れていて

その横を 渡って 何とか 車に乗り込み 避難所に 向かったのです。

避難所までの そう遠くない 距離なのに

道路は 至る所が 陥没したり ブロック塀は 倒れたり 崩れたりと

もう なにが 起こったのか わからない 状態。

こうして 本当の避難所生活が 始まりました。

二度も あんな大きな地震が 来るなんて

誰が 想像できたでしょうか・・・。

でも 家族が みな かすり傷ひとつなく

無事だったことが なによりでした。

今回の地震は 東側と北側の損傷が 激しく

こちらは 玄関ポーチの柱ですが

前震の時に こうなりました。⇩

Img_2834

こちらは 東側の柱と雨どいです。⇩

Img_2829

柱が半分しか 乗ってません。

こちらは 母の部屋のサッシの枠。 写真では わかりづらいかと

思いますが 白い壁が まっすぐで 枠の下の方が

こんなに 折れ曲がっています。⇩

Img_2749

これも 母の部屋(東側)です。

Img_2732haha

地震後 家を見に来られた 工務店の方が

余り 損傷の少ない 玄関側から 入られたときは

「落ちた壁とか 張替ますから 充分住めます・・・」と

言われていましたが だんだん ひどいところを見られるにつれて

「・・・・・・・。」

言葉なく 帰っていかれました。

いったいこれから どうなっていくのか

皆目 見当がつかず、先の不安だけしかない

避難所生活の始まりでした。



| | コメント (2)

« 2015年9月 | トップページ | 2016年7月 »